ame7100kazeのブログ

710.0です。

赤祖父(高岡)の由来とか考えすぎゆるゆり考察とか

(追記 間を開けながら書いたので文体が統一されてませんが気にしないでください   写真の入れ方が分からず文だけになってしまいました。見にくくて申し訳ないです   1番伝えたいことは最後にあるので長い文章読みたく無い方は赤文字のとこまでスクロールしてください)    

こんにちは、高岡に行ってきた710.0です。

※これは情報まとめるための自分用という部分が強いのでクオリティはあまり期待しないでください

軽く説明はします

赤祖父とは

赤祖父は富山県高岡市の地名です。これ見てるような人なら高岡が何かは分かりますよね。そう、ゆるゆりの舞台となった場所です。そして赤祖父にある赤祖父神社も聖地として崇め奉られて(?)います。

なんで赤祖父の由来調べたの?

最初に書いた通り、先日高岡に行ってきました。(聖地巡礼兼小旅行)

高岡といえば、江戸時代からのものづくりの町ですよね。そこで、歴史的な面を調べてから行ったらより楽しいかな〜と思って行く予定のとこを調べた、ということです。

本題

※素人なのでこの調べ方が正しいわけではありません全て鵜呑みになさらぬよう

赤祖父(地名)の由来

 

これを調べるにあたって、まず他に赤祖父という地名があるのかを探した。

すると、砺波や南砺等(富山県)にまたがった赤祖父山・赤祖父湖・赤祖父川などなど(全てとも源はおそらく同じ)1つの赤祖父の集団があった

これ以外に赤祖父という地名はおそらく無く、地形的な共通点も見つからなかったのでこの2つは距離的に考えて(近い)どちらかの名称は別の方から伝播したものだろうと予想をつけた。

上記の地名を検索してみると、wikiに赤祖父山の名前の由来が書いてあった。

以下wiki引用

飛騨変成岩中の石灰岩が溶け込んでいる赤茶色の炭酸水「そぶ」が湧き出ることから、それが「あかそぶ」として山名になったとされている。また、地元の人が敬い親しんだ山から祖父と付けられたともいわれる『富山県山名録』 桂書房、1985年、256頁。

らしいよ。

ただ、赤祖父川や赤祖父溜池等赤祖父山の赤祖父が起源になりそうな地名は全て高岡の赤祖父の近くではなく、赤祖父川が最終的に合流する事となる小矢部川も関係があるというには遠すぎた。

昔の小矢部川の流れまでは分からなかったが、近くに射水神社(創建奈良時代以前)があるため、庄川が既に近いこの場所に小矢部川が流れていたということは面積的にも無いのではないかと思う。(射水神社について詳しく無いので神社の移動があったかもしれないが少なくとも高岡古城があった事は確かなのでやはり面積的に庄川が既に近くにあるこの地に小矢部川は無かったのでは無いかと思う。大規模治水工事が行われたというのも調べた限りなかったし)

これだけ割と憶測で批判しといてあれだが川がある限りなんらかの繋がりは無理にでも生み出せしまうのでこの説も十分ありえる

しかし赤祖父山から来た案は個人的には無いかなと思ってここでこの案は切った。

 

次は赤祖父という苗字があるのかどうかを調べた。

これは適当に検索するだけですぐに見つかった。

赤祖父さんは全国に数百人、そして驚くことに(期待通り?)富山県に多く住んでいらっしゃるようだった。しかし富山県の中でも富山市に多く住んでいらっしゃるようでまた一つ疑問が増えた。高岡から富山に出ただけってわけでもないだろうし。

そこで赤祖父氏のルーツを調べていると、大きく2つの説があるらしい事が分かった。

それが

・赤染時用(赤染衛門の父)の後裔が赤染→赤祖→赤祖父となった説

・旧射水郡赤祖父村がルーツとなる説

の2つだ。

いきなりだが、一つ目は全く情報が出ていなかった。赤染氏や赤染時用に関する情報が少なすぎて、どこからこの情報がでてきたのかもさっぱり分からなかった。

これは全く手が出なかったので保留という事にしておこうと思う。

2つ目を見てみよう。

射水郡ルーツ説

これは驚きだった。射水郡赤祖父村なるものがあった事を初めて知ったし、最初に同一地名という視点で調べていたので結局その点で繋がってきた事に驚いた。現代に残っている地名しか調べていなかったのが穴だった。もう一生こんなことしないかもしれないが次やる時は気をつけよう。

一応調べて実在したことをを確認した後、旧赤祖父村の由来を調べた。

結論から言うと、赤祖父のルーツは「遊部」だ。

遊部は検索して貰えばわかるだろうが、崩御された天皇に使える役職の事だ。

偶然遊部となった円目王の子孫が遊部君の名を継いで越中国砺波郡に住んでいたようだ。

それ以外にも荒城郡(岐阜)にも遊部郷という場所があるらしく、地図で調べた結果南砺市にも遊部・(遊部川原)といった地名が見つかった。これらが少なからず遊部君に関係している事は明白である。しかし、これら3つは全て高岡とは重ならない。すると高岡の赤祖父はどこから来たことになるのだろうか。

みなさん日本武尊(倭建命)の伝説はご存知の事だろう。その日本武尊の東征(最後の遠征)において、吉備武彦という人物が東征別働隊として長野から岐阜を抜けて富山に入ったと見られている。このルートを地図上で見てみると前述の3つ+高岡とピッタリ重なってくる。

吉備氏と円目王の繋がりは不明だが、吉備氏は一族の女性を天皇家や皇族に嫁がせて政治に関与していたため遊部に任じられていてもおかしくはないだろう。

どちらにしろ、円目王の子孫か遊部となった吉備氏の子孫が日本武尊東征の別働隊として富山ないし岐阜等に住み着いたと思われる。これであれば富山市に赤祖父姓が多いのも納得することができる。

赤祖父由来まとめ

遊部という役職に任じられた人々の子孫が日本武尊の東征の別働隊として富山に寄って住み着き、遊部という名を地名や苗字として残す過程で、遊部→赤祖父となった。(諸説あり)

本題

ゆるゆりと赤祖父

やっとここまできました。正直前置きなんてどうでもいいんです。本題はここからです。

さきほど、遊部という役職が赤祖父の由来になったと書きました。遊部……どこかで見覚えがありませんか?遊部…遊部………そう!娯楽部です!遊部と娯楽部!これは完全に一致していると言っても過言ではないのでは!?!?!?

いやぁ、娯楽部って歴史があるんですね。

そしてゆるゆりの裏主人公赤座あかりちゃんの苗字の赤座。これもさっき書いたような………そうだ!赤染だ!

赤座と赤染も似ていますよね。

これは何を意図しているのでしょうか?

そう、これはなもり先生の赤祖父の由来に対する持論を表しているのです!

これまでのを読んでたら分かると思いますが、赤祖父の名の由来は大きく2つの説があります。赤染氏ルーツ説と遊部ルーツ説です。

そして赤座と娯楽部はそれぞれ赤染説(赤座)と遊部説(娯楽部)の事を指しています。

そこで赤座と娯楽部についての関連性を見ていきましょう。

実は、赤座は娯楽部に完全包含されているのです。

赤座あかりは娯楽部であり、決してその範疇を超えることはないのです。

これが何を表しているのか……賢明な読者諸君ならお気づきのことであろう…

そう!なもり先生は赤祖父の由来が遊部ルーツだと思っているのだ!

う〜ん、ここまで深い意味が込められていたとは。ゆるゆりってやっぱり文化的で素晴らしい作品だなぁ……

みなさんもゆるゆりに隠されたなもり先生の意見を探してみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陰謀論すぎるwwwwwwwwwwwwwwwww

※※※そんな事ありえません!!!!!!!!

   赤文字以降は全部妄想です!!!!!!!

 

でもこういうのは楽しいね!

 

 

 

あいさつ

おはこんにちばんは

710.0です。

S14で結果を残せたら構築記事を書いてみようかな〜なんて気持ちでブログを作ってみましたが、受験勉強やら卒業旅行やらでそもそもレートをする時間がありませんでした…>_<…

という事で見事にブログに書くネタが無くなったのですが、放置するのも嫌なので暇な時になにか(未確定)を書いていきたいと思います。

これからよろしくお願いします。